フランスに住んでみて改めて感じるのは、この国には独特の「保護主義」が息づいているということです。 ちょっとした日用品から家電まで、フランス製、もしくはヨーロッパ製のものが目立つのです。
たとえば、ティッシュ、スポンジ、洗剤、タオル。日本ならドラッグストアや100円ショップで気軽に買えるようなものも、フランスでは1つ2ユーロ、3ユーロが当たり前。最初は「えっ、これがこの値段?」と驚かされました。
でもその理由は、あとから考えるとよくわかります。 中国や東南アジアからの安価な輸入品にほとんど頼っていないからです。多くの製品は「Made in France」または「Made in EU」で、店頭でもそれを積極的にアピールしています。つまり、なるべく国内や近隣国で作って流通させるという構造があるのです。
消費者の立場から見れば、決してうれしいことばかりではありません。たとえば引っ越し直後に生活用品を一式そろえようと思ったら、それだけであっという間に100ユーロを超えてしまうこともあります。
でも一方で、こうした仕組みがあるからこそ、国内での生産や流通、そして雇用が守られている。大量生産・大量輸入によって安さを実現するのではなく、「つくる人」や「地域の経済」を支えることを優先する姿勢。これは、フランスの暮らしの中に自然に組み込まれている価値観のようにも感じられます。
「安さ」を追い求めた日本の行方
一方で、日本の暮らしを振り返ってみると、これまで「安さこそ正義」というような価値観が、社会全体に染みついていたように思います。100円ショップ、格安チェーン、スーパーの特売――私たちはいつの間にか、「どれだけ安く手に入るか」を基準に物を選ぶようになっていました。
もちろん、それは極めて経済合理的な行動であり、家計を預かるひとりの生活者としてはありがたいことに違いありません。良質なものが手頃な価格で手に入る、それは日本の物流と効率性のたまものでもあります。
でも、フランスで暮らしてみて思うのです。
その「安さ」が、実は私たち自身の首を静かに絞めていたのではないかと。
安く売るためには、どこかで無理が生まれます。たとえば、国内での生産が成り立たなくなり、工場が閉鎖され、雇用が海外に流出する。安い人件費を求めて仕事が国外に移されれば、国内の働き口は減り、やがて「働く場」そのものが細っていく。そして気づけば、自分たちの暮らしが、他人ごとのように「外からの流れ」に左右されてしまうのです。
フランスの保護主義がすべて正しいとは思いません。物価は高く、柔軟性に欠ける部分もあります。なにより、製品のクオリティーが必ずしも高くありません。国際競争していないわけですから、そこはデメリットになりますよね。実際、備え付けの洗濯機はむちゃくちゃうるさいし、おまけにほこりまみれで乾燥されたりもします(あくまで個人の経験ですが)。
でも、「国内で働く人たちを大事にする」あるいは「文化や技術を残すために少し高くても支える」という発想が、生活の中に当たり前のようにあることには、学ぶべきものがあると感じます。
フランスは「合成の誤謬」を回避しようとしているのか?― 保護政策の社会的意義 ―
ここで思い出すのが、経済学の「合成の誤謬(fallacy of composition)」という考え方です。これは、「個々にとっては正しい行動が、全体にとっては逆の結果をもたらす」という現象を指します。たとえば、ひとりの人が節約をして支出を減らすのは賢明な判断かもしれません。でも、社会全体の人がいっせいに消費を控えれば、企業の売上が落ち、雇用が失われ、景気が冷え込んでしまう――これが合成の誤謬の典型です。
同じように、私たちが「なるべく安く買いたい」「安くないと損だ」と思って行動することは、個人としてはごく当然の経済行動です。しかし、それが社会全体に広がると、国内の製造業が立ちゆかなくなり、雇用は海外へと流出し、長期的には「安くても買う余裕がない」社会になっていく。
つまり、目先の価格を追い求めることが、結果的に自分たちの生活基盤を損なうという逆説がここにあります。
フランスでの暮らしを通じて私が感じたのは、そうした合成の誤謬を、制度的に防ごうとしているのではないか、ということです。
国家が一定の「ブレーキ」をかけ、短期的な効率よりも社会の持続性や文化の多様性を優先する。
それが、フランスの保護政策の根底にある考え方なのかもしれません。
たとえば、日用品が高いのも、輸入品が少ないのも、「Made in France」が店頭で誇らしげに並ぶのも、すべては国内での生産や雇用を守るため。それは裏を返せば、「価格だけで競争させれば、国内産業は勝てないかもしれない」という前提のもとで、あえて“自由”にしない仕組みをつくっているとも言えます。
これこそが、フランスという国家が明確な意図と戦略をもって構築してきた社会経済モデルの一部なのです。
近年、政府は「産業主権(souveraineté industrielle)」という言葉を多用するようになりました。これは単なる経済用語ではなく、フランスが国として「自国の雇用と技術を他国に依存しすぎないように守る」ことを戦略的課題と位置づけていることを意味します。
特に2020年のコロナ危機以降、この方針はさらに明確になりました。医薬品やマスク、半導体などで輸入依存が問題視されたことで、フランス政府は製造拠点の再国内化(relocalisation)を支援し、国内の工場に補助金を出して雇用を生み出す政策を打ち出しています。これが「France Relance(フランス再興計画)」です。
また、公共調達(国や自治体の発注)においても、「フランス国内で製造された製品を優先的に使う」という方針が採られており、それが中小企業の支援や地方経済の活性化にもつながっています。
これはある意味、合成の誤謬を制度的に防ごうとする努力とも言えるのではないでしょうか。
もちろん、それにはコストも伴います。前述のとおり、物価は高く、行政の介入も多く、柔軟さに欠ける部分もあります。でも、それでも「仕事がある」「技術が受け継がれる」「地元にお店がある」といった、目には見えにくいけれど確実に人々の暮らしを支えるものが、制度のなかで守られている。そう考えると、日用品のちょっとした高さにも、どこか納得がいくようになるのです。
日本のこれから――私たちは何を守るべきか?
日本でも近年、地域経済の衰退や製造業の空洞化といった課題が表面化しています。
町の工場が閉鎖され、商店街がシャッター通りと化し、若者が地元に働く場を見いだせずに都市部へ流出していく――。その一因には、やはり「安さ」を最優先してきた経済構造があるように思います。
もちろん、日本の効率性や流通システムは世界に誇れるものですし、価格競争に勝ち抜いてきた企業努力は尊敬に値します。でも、だからこそいま、「安くて便利」を超えた価値観が必要とされているのではないでしょうか。
「この商品はどこで、誰が、どんな条件でつくったのか?」
「その価格は、誰かの生活や働き方を犠牲にしていないか?」
そう問い直すことが、私たちの未来を形づくる小さな一歩になるのだと思います。
買い物は「社会への投票」
フランスではよく、「consommer, c’est voter(消費することは投票することだ)」という言葉が使われます。
つまり、何を買うか、どこで買うかという日々の小さな選択が、社会のあり方を決めるという考え方です。
フランスのスーパーで「Made in France」の商品を手に取るたびに、私は思います。
これは単に“高いフランス製”を買っているのではなく、国内の仕事を守り、地元の人が誇りを持って働き続けられる仕組みを、日々の買い物で支えているということなのだと。
もちろん私たちは、常に高いものを選べるわけではありません。予算には限りがあります。
でも、ときどきでもいい。「この1つは、ちょっと考えて選んでみよう」という意識が、きっと少しずつ社会を変えていくのだと思います。
値札の裏側にある「社会のかたち」に、目を向けてみませんか。